タイトルの通り、「周りの意図を組みすぎて、本当の自分の意見が分からなくなる」ことってよくありませんか?しかも無自覚に。
「自分がどうしたいか」で決めて動けばいいのがそもそもなのに、いつからかそれができなくなっていました。
スポンサードリンク
とっても小さな例で言うと…
グループでランチに行ったとき、本当はAセットを注文したいけれど、みんながBセットを頼むから、自分もBにした方が早く出てくる+厨房もスムーズでみんなに迷惑をかけないかなぁと思ってBセットを頼む。とか。
職場の人たちと昼休みにランチに行く場面でのあるあるです。
このぐらいだと「空気が読める大人」ですよね。
本当は自分の仕事が終わっていて早く退社したいけれど、上司や先輩が忙しそうなので帰りづらくてオフィスに残っている。
「帰れない空気」を察しすぎていますが、よっぽどブラックじゃない限り、帰ったところで「イラッ」とされるもののクビにはなりません。
でも周りの空気を読もうとしてしまう。
そして「ほんとは定時に帰りたかったのに!」と逆ギレする。最悪です。
周りは言うでしょう。「そんなこと頼んでない、勝手に残業しただけでしょ」
スポンサードリンク
プライベートもそうです。
今秋のドラマ「獣になれない私たち」のガッキーを見ていると、もどかしいけど理解できます。
私はまさにこのタイプです。
空気を読もうとしすぎて、自分の本心がたまに分からなくなります。
「相手は何を求めているのか?」をまず考えてしまい、「自分はどうしたいのか?」を考えずにここ数年生きていました。
気づくと「私が何をしたいのか」ではなくて、「何をしなければならないのか。周りに何を求められているのか」をやりつづけることが、私の人生そのものになっていました。
そして心のバランスを少し崩しました。
今許せないことがあります。
「家族のことを考えると、許してあげたほうが丸く収まる」
「たいしたことじゃないんだから、私が水に流してあげればいい」
でももう周りの意見や、周りの人のことは気にしないことにしました。
私は許せない。嫌だ。納得できない。
だからこの気持ちに正直に、許さず、嫌がって、納得しないことにしました。
自分で稼いだお金を使って、自分の好きなように生きる。
理解できないこと、理解したくないこととは極力距離をとる。
近しい人であっても、根本が理解できないものはしょうがない。
もう勝手に生きていってください。私は見限りました。私の人生にあなたはもういません。でも憎んではいません。遠くから幸せを祈ります。
スポンサードリンク